ワインを造る為に生まれてきた男

ドミニク・ポルテ
ドミニク・ポルテ
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ドミニク・ポルテ
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ボルドーに生まれ、最高のワイン作りにすべてをかける男ドミニク・ポルテ(Dominique Portet)。この上ない醸造家系・サラブレッド一族「ポルテ家」の9代目として生まれたドミニクは、家系の歴史上初めて自身の名をブランド名とし、南半球オーストラリアのヤラバレー(Yarra Valley)の丘で新たな歴史を築き始めました。

ドミニクの父アンドレ・ポルテ(André Portet)氏はポイヤックの五大シャトーの一つシャトー・ラフィット・ロートシルト(Château Lafite-Rothschild)でブドウ栽培およびワイン醸造の責任者として 20年間働いた、シャトーでも最長の経歴を持つ人物です。ドミニクはこの父とともに世界トップの赤ワイン産地ボルドーで若き日々を過ごし、毎日父親の元を訪ね、シャトー・ラフィット・ロートシルトを試飲したことで自身の骨格となるワインに対する味覚を確立させました。当時、モンペリエ大学(Montpellier University)でワイン醸造学を学んでいたドミニクはテイスティング能力を高く評価され、1 年間の義務兵役ではワイン購入アドバイザーとして働き、更にはメドック(Médoc)、ローヌ(Rhône Valley)、プロヴァンス(Provence)でヴィンテージを経験し、卒業後にはシャンパンの名門モエ・シャンドン社(Moët et Chandon)で半年間、醸造を学びました。

その後ドミニクは、兄のベルナール・ポルテ(Bernard Portet)氏がワインメーカーとして経営する、カリフォルニア・ナパヴァレー(Napa Valley)にあるクロ・デュ・ヴァル(Clos du Val)で3年間、彼のアシスタントワインメイカーとして働き、同時に生まれ故郷ボルドーに勝る畑を探し続けました。

1976年、ドミニクはオーストラリアに移住を決めます。移住してすぐにビクトリア州・ピレニーズ(Pyrenees)にある、フランス法人のワイナリータルターニ(Taltarni)を設立します。ワインメイカーとして、また現地法人社長としても多岐にわたる仕事をこなしながら、その後22年の間にタスマニア(Tasmania)にてクローバーヒル(Clover Hill)を設立し、シャンパーニュ以外でプレミアム・スパークリングの産地として世界に知らしめる功績を残します。後にタルターニを退職しプロヴァンスでの余暇を経て、2000年に探し続けた理想の土地としてビクトリア州ヤラバレーへの移住を決意し、2001 年ドミニク・ポルテの名でワイナリーを設立しました。 ドミニク自身がオーストラリアや世界各地の産地を見て周り、最終的にヤラバレーに辿り着いた理由はこの産地で作られるワインのクオリティーにありました。特に、自身の土台として根付いているの味覚「カベルネ種」に強い魅力を感じました。シャトー・ラフィットで優れた味覚を会得したドミニクは、自分のスタイルであるボルドーワインを作る為にヤラバレーを選びその目標を成し遂げようと決意したのです。

現在葡萄畑には彼のもっとも得意とする品種、ソービニヨンブランをはじめシャルドネ、またカベルネ・ソービニヨン、ピノノワール、メルローが育ち、ヒースコート地区にある契約農家にはシラーズとカベルネが植えられています。

ワイン作りにおける情熱と繊細さ、そして一切の妥協を許さず常に自身が培ってきた経験をもとに判断、決断をするドミニクは、人とのつながり、信頼関係を大切にし、日本の文化や礼儀には特に尊敬の念を抱いています。

ポルテ家に代々続く歴史は、今現在も妻・ジュリアと3人の息子・ベン、トーマス、ヘンリーによって引き継がれています。トーマスはデンマークでワイン輸出の仕事を、そしてポルテ家10 代目ワインメーカーの長男ベンは、アデレード大学(Adelaide University)を卒業後、フランス、南アフリカ(ステレンボッシュ)、そしてアメリカ(ナパ・バレー)で経験を積んだ後、現在ヤラバレーへ帰省しました。

ドミニク・ポルテ

870-872 Maroondah Highway, Coldstream VIC 3770, Australia