「ブドウ畑は教えてくれる。」とイェレナ・ブルックスは語る。にわかに信じがたいことではあるが、彼女のこれまでの功績がそれを物語っている。
イェレナ・ブルックスはブルガリアで育ち、物心がつく頃からワインはいつも傍にあり、彼女にとってワインは生活の一部であった。彼女は自身の将来を考える上で、ワイン業界に身を置くこそ確信していたが、まさか「豪州期待の星」として、豪州ワイン業界をリードする存在になるとは思ってもいなかった。しかしながら、彼女のワインに対する熱心な仕事ぶり、情熱、そしてこれまでに関わってきた素晴らしいブドウ畑が彼女を一流の醸造家として育て上げた。
イェレナがワインに興味を持ったきっかけは彼女の母だった。彼女の母は地域のワイン醸造所の広報を勤め、ブルガリアのワイン業界に貢献していた。1980年代後半に東欧で社会主義が崩壊したことにより、ブルガリアンワインがお手頃な価格で、手に取りやすいワインとして英国のスーパーマーケットに並ぶようになった。
地元の醸造所にとって、ワインを英国で販売する絶好の機会だったが、スーパーマーケット仕様にワインを作り変えることは、とても容易ではなかった。いくつかの醸造所の中には、豪州からワイン造りに訪れていた醸造家も含まれており、彼らはブルガリア語が話せず、同様に地域の人々も英語が話せない。
そこで救いの女神となったのが、当時12歳のイェレナだ。幸いにも、彼女は学校で英語を学んでいた。彼女はすぐに通訳として醸造所から仕事を与えられ、この時、初めてワインの世界に飛び込んだ。そして驚くべきことに彼女は12歳にして、第二言語である英語でワイン用語を修得し、15歳になる頃にはベテランの醸造家と肩を並べるほどのワイン知識と語彙力を兼ね備えていた。その後、彼女は16歳にして最初のシャルドネを手がけることになる。
とある豪州の醸造家に高校卒業後の進路を尋ねられ、彼女は何の躊躇もなく、醸造家を目指すことを告げた。その醸造家は彼女に、ワイン醸造学を学べる世界でも指折りの大学として知られていた、アデレード大学(The University of Adelaide)に留学することを提案する。そして1988年にイェレナは、彼女のワイン人生を新たなステージに進めるべく、豪州へと発った。