情熱を伝える~次の世代へつなぐ実践的な取り組み~

ジョフ・ブロードフィールド
ジョフ・ブロードフィールド
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アイアンゲート・エステート
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2018-09-20

ジェフは高校を卒業してすぐに、ワインの魅力にとりつかれ、ワイン造りを始める。そして35年間にも及ぶワインに対しての情熱から彼はハンターバレーの中でも高い評価を受けるワイン醸造家の一人となった。

ジェフのワイン醸造家としてのキャリアは、大学に通いながら、ウィンダム・エステートのビンテージ造りに携わったことから始まった。その後1984年、彼はウィンダム・エステートで正式にワイン醸造家として働くこととなる。決して大きくはないワイン醸造所だったが、ジェフはここで「ワインショーや消費者に、いかにしてクラフトワインを提案できるか」について学んだ。

また、応用科学の学士号を修了し、1987年にウィンダム・エステートから移転した彼は、アランミー・ワインとミルストン・エステートの両方でワイン醸造家およびコンサルタントそして務めた。他にも、いくつかの小規模家族経営のワイン醸造所に経営コンサルティングも行っていた。自分のワイン造りだけではなく、他のワイン醸造所のためにも働く。彼以上にワインと向き合った人が他にいるのだろか。彼は時間のすべてを費やし、ワインに関する知識とスキルの向上のため、小さくても立派なワイン醸造所を作ることを目指した。

1990年、ミルストンは売却され、ワンドンバレー・エステートと改名し、ジェフはワンドンの新しいワイン醸造所の設計に携わった。また、彼は近くのクーリ・クーリでワイン醸造所の設計や運営についての指導を行い、醸造所が開設された最初の3年間は非常勤でワイン造りを助言した。そしてジェフは1995年にワンドンバレー・エステートでワイン醸造家として雇われた。3つのワイン醸造所でワインを造るということは、なかなか骨の折れる作業であったため、苦渋の決断ではあるが、アランミーから離れる決断をする。アランミーは業績の高さが評価され、ハンターバレーの中でも品質の高いブティックワイナリーの1つとして認識された。

2000年には彼がワイン醸造家として、道を切り開いたミルストンとワンドンバレー・エステートは14年の月日が経ち、また生産マネージャーとして携わったグレンドンブルーク・エステートは500トンものワインを輸出した。この時にはローカルの市場ではもちろん、日本、アメリカ、中国などのマーケットでも成功を収めた。

その10年後、ジェフは新たな取り組みとして、Hunter TAFEで教壇に立ち、ワイン造りを行う傍ら、ワイン醸造学を学ぶ専門学生に彼が1995年に設計したワイン醸造所についての講義を行った。彼は、彼自身が築き上げたものを次の世代のワイン醸造家たちが引き継ぐことを切に願っている。ジェフの成し遂げた大業はワインと率直に向き合い、情熱を注ぎ続けた結果であり、これを学生に伝えていきたいと考えている。

ジェフのワインは大規模の大手醸造所のワインと肩を並べてワインショーで出品されるほど品質の高いワインであり、これまでに400以上の賞と25本ものトロフィーを獲得している。彼にとってブドウ一つ一つの小さな粒が高品質のワインを作り出す要因であると確信しており、これまでの結果がそれを物語っている。

ジェフは小規模ワイナリーの経営コンサルタントを続け、2018年アイアンゲート・エステートが生産したビンテージはその一つである。この美しいワイン醸造所はこれまでにヴィンテージからいくつかの素晴らしいワインを生産している。彼はアイアンゲート・エステートがハンターバレーを最前線で支える醸造所となり、歴史の1ページとして彼が刻まれ、話題にあがることを楽しみにしている。

アイアンゲート

The corner of Inglis Lane and Oakey Creek Road,ポコルビン,ニューサウスウェールズ州,オーストラリア