一番大切なのは「飲みやすい。おいしい。」と感じること。

ラドクリフ敦子
ラドクリフ敦子
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スモール・フォレスト
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2018-12-27

ラドクリフ敦子は豪州でワイン醸造所を立ち上げた初の日本人醸造家だ。

彼女は茨城県で生まれ育ち、学生時代から日本酒醸造に強い憧れを抱いていた。しかし、30年前の日本酒業界は女性の進出に対しあまりに保守的だった。高校を卒業後は、東京農業大学短期醸造科に進学し、その後は協和発酵工業(現在の協和発酵キリンの前身)に入社した。品質管理課に就くも、本来やりたかった酒類研究の仕事とは異る部署だったため、3年で退職する。1987年より栃木のワイナリー〈ココ・ファーム〉に参加。3度の収穫を経験した後、ココ・ファームを離れ、友人と醸造コンサルティング会社を起業した。

当時、先進的なワイン造りを行なっていた米国カリフォルニア州で経験と知識を得るため、カリフォルニア州のナパやソノマ、その後の1990年にはフランスでワイン醸造を初めて手掛けた。ボジョレー、ミュルソー、ボルドーを回り、ワイン醸造に取り組む人々の生き方に感銘を受けた。その後は仕事の一貫で豪州を足繁く訪れるうちに、ワイン醸造だけに打ち込みたくなり、当時アッパーハンターにあった大手醸造所ローズマウント・エステート(Rosemount Estate)に誘われ、1999年に醸造家として働き始める。日本で勤めていた会社には経験を積んだのちに一年で戻る予定だったが、仕事と英語にも慣れ、次第に醍醐味を感じるようになり、豪州に残る決意する。

ローズマウント・エステートでの7年間は彼女にとって大きな人生のターニングポイントとなる。厳しい上司の下での長時間労働ではあったが、当時の豪州ワイン業界は活気があり、勢いのある醸造所で働くことに強いやりがいを感じた。勤務年数が長くなるにつれて、責任のある仕事を任されるようにもなり、それは彼女にとって大きな自信に繋がった。ブドウ畑での作業、セラーにも頻繁に顔を出し、作業工程のチェック、そして数えきれない試飲をこなす。3万樽ものワインを手掛けていた彼女は、納得がいくまで1日に200から300樽の試飲することもあった。

その時に醸造所でのチームワークの大切さを学んだ。収穫時期になると、他の州や海外からも人が集まり、通常の約2倍のスタッフが24時間体制で働いた。1日12時間勤務の2交代制で、醸造家の実働時間は15時間にも及ぶ。服や髪はジュースや発酵中のワインでベタベタ。赤ワイン造りが始まれば、手は真っ黒。疲れ果てて家に帰ると、とにかくシャワーを浴びて、テレビも見ずにすぐにでも眠りたい、そんな毎日が3カ月以上も続いた。その後、ローズマウント社はサウスコープ(Southcorp)と合併。続いてサウスコープはフォスター(Foster)に買収され、その翌年の2006年に彼女は醸造所を去った。

1年間の休暇を取った後の2008年暮れに、彼女に思わぬ転機が訪れる。それは浦霞醸造元(宮城県塩竈市)の佐浦社長からのオファーだった。彼女は迷うことなく日本行きを決心した。彼女にとって、蔵元で働く人々との出会いは夢のような経験だった。日本酒業界への思いを諦めてワイン業界に入ったのに、豪州の片田舎まで来て、まさかこのような機会に恵まれるなんて。

塩竈市は松島湾の奥にあり、大きな漁港もあるが、山も近い。海の幸にも山の幸にも恵まれ、町では小さな商店が、人びとの生活の中に未だ息づいていた。人々は神様を大切にしながら生活している。本当の豊かさというものを実感し、そこで生きている人たちの温かさを感じた。物づくりには、そうした豊かさが大切なのだと彼女は考えるようになった。技術も大切だけれど、それだけではない。お金や物ではなく、気持ちが豊かでなくては、良いものは生まれないのではないか。

日本酒醸造の経験がきっかけに、2012年からロンドンのワインコンペ〈インターナショナル・ワイン・チャレンジ〉で、日本酒のジャッジを務めることになった。そして2015年からは、ワインのジャッジも始め、世界中のワインを世界中の経験あるジャッジたちと共に審査している。

彼女はこれまでの経験から「ワインは所詮、ただの飲み物でしかない。」と思えるようになった。品種や造り方、土壌、気候といった薀蓄はもちろん重要なことではあるが、一番大切なのは「飲みやすい。おいしい。」と感じること。ワインのある生活はいいもので、ワインがあることで、食事がおいしくなったり、家族や友人を囲む時間が楽しくなる。そうなれるようなワイン造りを彼女は実践する。

ラドクリフ敦子は世界的な経済誌の日本版「Forbes JAPAN」において、世界で闘う「日本の女性」55に選出され、2017年には内閣府「アジア・太平洋地域で輝く『架け橋女性』にも選出されるなど多方面での活動を通じて、日豪の相互理解に多大な貢献をしている。また、自身の醸造所で日本酒の試飲提供や、インターナショナル・ワイン・チャレンジの日本酒部門の審査員を務めるなど、日本酒の普及において彼女の精力的な活動が評価され、2018年12月初旬に在シドニー日本国総領事館で総領事表彰が授与された。

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