マウント・プレザント・エステートは、オーストラリアの伝説のワインメーカー、モーリス・オーシェアによって設立されました。モーリスは研ぎ澄まされたテイスティング能力と、ブドウの品質を見極める力に非常に長けていました。さらにモーリスはブレンドの匠でもあり、ハンター・ヴァレーや近隣のブドウ畑から生まれた若いテーブル・ワインの中から卓越したものを厳選し、長期熟成に耐えうるワインへとブレンドする、優れた技術を持っていました。
ここで重要なことは、モーリスが成し遂げたこれらの功績は、オーストラリアでまだテーブル・ワインが全く評価されていなかった時代になされた、ということです。ここでいう「テーブル・ワイン」とは、酒精強化やスパークリング・ワインではない、いわゆる「普通の」ワインのことを指します。その当時のオーストラリア市場ではワインといえば、ポート・ワインに似た「酒精強化ワイン」が主要な時代でした。この当時のオーストラリアで、テーブル・ワインの価値を理解、評価できる人は非常に少数であったのです。
モーリス・オーシェアはアイルランド移民の父ジョン・オーガストとフランス生まれの母レオンティン・フランソワーズ・ボーシャーの間に長男として生まれました。1914年、父の死後、当時17歳だったモーリスは母の計らいでフランスに渡りワイン造りを学びます。その7年後、フランスから故郷に戻ったモーリスは、母を説得してハンター・ヴァレーのポコルビンにあった火山灰土壌の16.3ヘクタールの土地を購入しました。これがマウント・プレザントの誕生の瞬間でした。当時貧しかったモーリスはワイナリーに電気を引くことができませんでした。最初はガスランプと、ごく基本的な装備、古いバスケットプレスだけ。それでもモーリスは、こうしてワイナリーに命を吹き込んだのです。
モーリスのブレンドや樽を使用する洗練された技術は、彼がフランスのモンペリエ大学の醸造学部で学んだものでした。 モーリスの作る赤ワインは味わいに満ち溢れ、そして長く熟成できる能力を持つものでした。そしてマクウィリアムズ・ワインの当時の代表であったキース・マクウィリアムが、この素晴らしいワインメーカーの才能に目を止めたのです。1932年、マクウィリアムズ ・ワインはモーリス・オーシェアからマウント・プレザントのシェアを50%購入し、1941年には残りのシェアを全て獲得しました。マクウィリアムズからの財政支援により、モーリスはラヴデール。ヴィンヤードを購入し、ワイン造りに注力しました。それからマウント・プレザントは半世紀以上も経った今日に至るまで、モーリスが有名となったその所以となる、素晴らしいワインを作り続けています。
モーリス・オーシェアは才能あるワインメーカーでると同時に素晴らしい友人であり、良き夫でもありました。1925年12月、モーリスは最愛の妻マルシア・シンガー・フラー と結婚し、のちに娘のシモーネが誕生します。マウント・プレザントのファミリー・コレクション・シリーズは、モーリスの家族や友人の個性を反映させたもので、モーリスの人生を形作った彼らへの絶え間ない敬意でもあるのです。90年以上たった今では、設備は進化し名前が変わりましたが、基本原理とブドウ畑は今も変わらないままです。オーシェアの残した遺産を尊重する哲学は、一つ一つのワインに、そしてそれらが生まれる特別な畑に、今も色濃く残されています。